世の中には、善良な市民が溢れている。善良な市民は、理不尽な制度にも、理由なき差別にも、隣人の困窮にさえも観ざる聞かざる言わざるを決め込んでいる。 不良なる中年を決め込んで早十余年。季節の移り変わりを体の軋みで感じる初老に成ってもなお、未だに納得出来ない事を飲み込む術を持たない不良中年ではある。
2011年10月27日木曜日
死を見つめて生きる
8月に父が他界した。86歳だった。
昨年11月に脳梗塞で倒れながらも九死に一生を得てリハビリを続けていた矢先の出来事だった。
早朝に電話があり、駆けつけた時には冷たくなっていた。
医者の話では死因は腸梗塞による腸閉塞らしいが定かにはわからない。
施設の慌て様から見て、彼らのミスもあったのだろう。
覚悟していたはずなのに、マグマのような感情を抑えるのに必至だった。
泣き崩れる母と姉。体裁を保つだけの兄。
そんな中で慌ただしく、葬儀は進んでいく。
感情と現実の狭間で、段取りを進めることで正気を維持していたよう思う。
10年前の911、今年の311、福島原発震災でじわじわ殺されていく子供たち
・・・・・・7月までは、これらの現実、全てに怒り震え己の無力を呪い心底心が傷んでいるつもりだった。
でも、今は父の死で始めて命を失うという事の重さを思い知らされた気がする。
母と実家の跡見をすることに成るとは夢にも思わなかったが、残された家族の意志が固く自分にお鉢が回ってきた。
葬儀の後始末をし、満中陰をして、相続手続きを進め、永代経を上げ、一人になった母を施設に預け、兄の住宅ローン返済の為に融資をし、、、、、
気づけば早10月も終わろうとしている。
11月の中頃を過ぎれば雪の季節。少しでも暖かい内に納骨出来るようにしたかった。
今日夕方出来上がった墓に母を案内した。
母は「ありがとう、ありがとう」と何度も言いながら、涙して痛い足を引きずって墓の周りを歩き回った。
人は必ず死ぬ。
いずれ来るその死を見つめ、その死の瞬間まで「自分に忠実に生きよう」と思う。
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